クリスティーナ・ランツハマー ソプラノ・リサイタル

クリスティーナ・ランツハマー インタビュー
艶と温かみを兼ね備えた美声で、アーノンクール、ブロムシュテット、ラトル、ノット、P. ヤルヴィ、ハーディングら錚々たる指揮者たちを魅了し、度々共演に指名されている人気ソプラノ、ランツハマーが13年ぶりに再来日します。本邦初、日本で唯一となる今回のリサイタルでは、得意のシューマンをはじめ、評価高まる詩人エミリ・ディキンスンの詩に付曲したコープランドの名作など多彩なプログラムで、ぜひともお聴きいただきたい貴重な一夜です。この公演のプログラムについてランツハマーからメッセージが届きました。

――― プログラムのタイトルを“Wider than the Sky(空よりも広く)”とされていますが、それはどうしてでしょう?
 このプログラム・タイトルは、まさしくアメリカの最も偉大な女性詩人であるエミリ・ディキンスン(1830~86)の詩、『知性-それは空よりも広い』の引用です。詩は長い間、魂、もしくは精神の表現とされてきましたが、19世紀末と20世紀初頭にその焦点は心理へと移りました。そして21世紀初頭の今、内面世界の活動、創造性、そしてイマジネーションと世界との関連を描写する新しい、決定的なパラダイムは、脳だろうとされています。つまりディキンスンは、極めて現代的な道を歩んでおり、時代を先取りしていたのです。ある評論家は、彼女の詩は「まさに現代における脳と詩、神経科学と創造性という複合的テーマを先取りしているように思われる」と述べています。
 《Wider than the Sky》というタイトルは、私にとってすべてをまとめあげてくれます。
 今日に至るまで、人類最大の謎である脳だけが、世界を体験せしめてくれるのです。脳は私たちの前にあらゆるイメージを生み出し、しかもそれは一人一人個別の、それぞれ異なるイメージです。イメージから言葉が発生し、それは読む者において新たなイメージを生みます。これらのイメージを音楽で捉えれば、聴衆においてさらに新しいイメージが生まれるわけです。そもそも脳ほど魅力的なものはありません。脳のもと、私たちには意識がもたらされます。これ以上の多様性があるでしょうか! 音になった詩は、最も深く、内面的な魂の表現であり、脳によって魂が映し出されています。
―――英米独語によるバラエテイ豊かな今回のプログラムのコンセプトは?
 まずお伝えしておきたいのは、私のこのリート・プログラムはあらかじめ用意したコンセプトに基づいて構築されたのではなく、本能的に生まれたものです。降りてくる、という感じですね。
 最初に、ディキンスンの詩に基づくアーロン・コープランドの作品を念頭におきました。あるきっかけでこの作品について詳しく調べることになったのですが、即座に魅了されました。彼女の詩がどれほどコープランドの心を動かしたかは、作曲家が彼女の詩をとても難易度の高い歌曲に仕上げたところからも明白です。そしてこの作品に匹敵する力強いカウンターパートはどれだろうと考えた時に、アイヒェンドルフの詩によるシューマンの《リーダークライス》op.39は論理的な帰結でした。シューマンは思想家であり、加えて自らの脳を病に侵された作曲家でした。天才と狂気―。創造意欲に突き動かされたシューマンは、1840年に《リーダークライス》を完成させましたが、この作品はシューマンの創作の中でも「最もロマンチックな」作品だと作曲家自身が述べています。そして精神状態が最も酷かった時の自己喪失と死への憧れがはっきりと感じられます。ディキンスンの詩も、死と永遠がテーマとして支配的であり、こうして両チクルスは自然な形で互いに補い合うのです。さらにパーセル、そしてクリーガーによる情緒豊かな英語とドイツ語のバロック歌曲では、魂と精神が見事なまでに表現されており、プログラムに美しいシンメトリーをもたらしています。
―――コープランド作品の魅力、いわゆる「聴きどころ」はどんなところでしょうか。

 コープランドは、1949年3月から1950年5月の間に何度か滞在した、スニーデンズ・ランディング(現在のニューヨーク・オレンジタウンのパリセード地区)でディキンスンの詩による歌曲を作曲しました。彼にとって、1928年以来となる独唱とピアノのための作品でした。
 それぞれの詩にテーマとしての関連性はありませんが、いずれも自然、死、命と永遠を扱っています。これは、ディキンスンの典型的なテーマです。コープランド自身は作品について次のように述べています。

 「もともとは曲集を書くつもりはありませんでしたが、『馬車』という詩に恋してしまったのです。それから私はディキンスンを読み漁りました。読めば読むほど、彼女の傷付きやすさと孤独が私に触れました。詩は、繊細でありながら独立した魂の働きのように見えたのです」

 コープランドはこの曲集で、かなり民謡風の特徴を持ちながら、現代的な響きで、さらに半音階と多調によって世界を拡張させています。多くの作品が、同じ音楽的モチーフや同じメロディーを用いたリフレインのように始まり、終わるのです。コープランドは、テキストの持つ自然で音楽的なデクラメーション* を駆使して、ディキンスンの詩の魅力を見事に表現していると思います。
*言葉の強勢と旋律のアクセントの関係

―――ヨーハン・フィリップ・クリーガーの作品をリサイタルで聴けるのも嬉しいですね。
 今日、歌曲のリサイタルといえば、まずはロマン派のレパートリーを期待されるでしょう。それに比べて、バロック歌曲がプログラムに載ることは珍しいと思います。私は限界に挑戦し、それを乗り越えることが好きなので、意識的に英語とドイツ語のバロック歌曲をプログラムに組み込むことにしました。とりわけ、作曲技法としても、注目すべき類似点があるからです。上述したようにコープランドは、テキストをデクラメーションとして的確に音楽に置き換えることを重要視していました。彼はバロックの情緒論と音型論を用いており、モチーフとメロディはテキスト全体の情緒の濃度に応じています。この関連から、まさに必然的に前半の「英語の」文脈におけるバロックの歌曲として、ヘンリー・パーセルの有名な作品に決定し、さらにコープランドとの架け橋を求めて、1939年夏以降、親しい友人同士であったベンジャミン・ブリテンによる編曲を選んだのです。後半のシューマンの《リーダークライス》に対しても、シンメトリーという観点から、現在ではほとんど忘れられてしまっているヨーハン・フィリップ・クリーガーのドイツ語の歌曲とアリアを選びました。クリーガーは、J.S.バッハの前の世代を代表するドイツの作曲家のひとりです。多才な人物で、ドイツの初期バロックオペラに影響を与え、また歌曲においては、言葉と音楽の密な結びつきが際立っています。ですので今回私たちが選んだ作品は広い光景を生み出し、最も知られている〈孤独に寄せて〉を頂点とする、もうひとつの隠れたハイライトと言えるでしょう。
―――今回のピアニスト、ゲロルト・フーバーはゲルハーヘルの共演者としても著名です。彼の魅力は?

 ゲロルトは、私にとって完璧な伴奏者です。初めて共演した時から、私たちはほとんど言葉を必要としませんでした。自然なエネルギー、音楽の感じ方が互いにとても似ており、そして深く真摯な姿勢が私たちを繋いでいます。彼はとても細やかで、極めて感受性の鋭いピアニストです。一緒に呼吸をし、演奏中は常に歌詞を口ずさんで、全力投球をしています。まるでピアノと一体化しているように歌手をドライヴしてくれるのです。